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なまけのおつむ

きちんと暮らして死んでいく

EXPO

家と職場のあいだにボルダリングジムがあることを知って、体重がへらないことに悩む母におしえてあげようと母のいる和室にいったら、母はわたしが来ると迷惑そうに聖書を読み始めた。
あきらめて、すこしの苛立ちとむしゃくしゃとひとしずくの殺意を胸に自室に戻って睡眠薬をのんだ。
もう眠るしたくは済んだので、ベッドでTOMOVSKYの「EXPO」を聴きながらこれを書いている。
このアルバムは踏切の音で始まる。幼いころによんだ「プラネタリウム」という小説に、追い詰められると踏切の音を発してしまうという女の子がでてきていて、それ以来踏切の音を好むようになった。ある種のスペックだ、と思う。
だからこのアルバムが大好きだ。
TOMOVSKYはカステラのボーカルのころからひたむきにくだらない歌ばかり歌っていた。彼の書く歌詞は誰よりも彼自身に向けたものなのだけど、それに自らを重ねあわせて救われる人たちはきっとたくさんいて、変わりつづけているけど変わらない彼はわたしにとっての宝石だとおもっている。ところどころ磨きがあまくて、すこし濁っていて、でも透きとおっているちいさな光る石。

彼は強い、と思う。正確には、彼は強くあろうとしている。弱りそうなじぶんを音楽によって肯定し、鼓舞し、奮いたたせている。そしてパブリックな場所やライブではヘラヘラと笑い、弱さをおくびにも出さない。好きだ、と思う。
彼はわたしには寄り添ってくれない。でも彼の音楽は寄り添ってくれる。「まあそういうことで、曲つくったんだよね。みんなにあげるよ。それぞれ勝手に聴いてネ」彼はへらへらしながらそう言うだろう。

彼のライブに最後に行ったのは3、4年前になる。「ほうき」という曲で、泣き出してしまったのを覚えている。水風船のなかに溜まりに溜まった鬱や希死念慮やストレスやどうしようもなさが、風船に穴が空いたようにいっきに溢れだしていった。泣くまいと思う間もなく視界がみるみるうちに滲んだのはあとにも先にもこれがはじめてだった。