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なまけのおつむ

きちんと暮らして死んでいく

だれに聴かせるでもないたわごと

昨晩はうつらうつらと睡ったような睡らないような時間を過ごしたのち朝の4時にベッドから出た。
午前中は図書館に立ち寄ったり(車の中でブライアン・セッツァーのSummer time bluesを聴いた)、古着屋でチェスターコート(くたびれた野暮ったいらくだ色が気にいった)と白いブラウスを買ったり、BOOK OFFで本を2冊とスピッツの8cmシングル(チェリー)が手に入ったり、小ぢんまりしているけれど比較的おしゃれで清潔なショッピングモールに行って、100円ショップを覗いたりパンの香りのする食料品うりばでスパークリングワインをひとつ買い求めて帰ってきた。すべて午前中のことだ。

お昼ごはんに炒飯を食べてからすこし睡ってしまってからは、The rolling stones薬師丸ひろ子の音楽を聴いたり、借りてきた本を読んだり、タワーレコードのオンラインショップを眺めて煙草を吸ったりしていた。

こういうとき、わたしは彼がいなくてもちゃんとわたしなのだとつよく感ずる。
彼というのは2年ちかくまえから交際をしている男のことで、ちゃんとわたしだというのは彼と物理的距離が離れているときでも、思考が彼に満たされていなくても、わたしはわたしであり、わたしの人生を楽しめているということである。

彼にであったはじめから1年くらいまでは、彼を離すまいと、あるいは離れようと、泣いたり怒ったり追い詰めたり振り回したり振り回されたりそりゃあもう神経をぎすぎすにすりへらしていたのだけれど、もうなんだか躍起になるのは疲れたし、なにかアクションを起こさなくても離れて過ごしていても繋がっていられている気がして、わたしはおだやかに眠り、起き、食べ、仕事をして、遊んで、じぶんの生活をきちんと送っている。そうしてたまに、ほんとうに感情のおもむくままに、会いたいな、とふと思うときに連絡をして、共に過ごす。
嫉妬に狂いじぶんを傷つけることもしなくなった。
気を惹かせようとよその男たちと遊んだりすることもしたくなくなった。
それが彼を悲しませたくなく、苦しませたくないと思うようになったのであれば喜ばしいことだ。愛情がすこし薄れたということなのかもしれないけど。

わたしはX歳までに結婚、出産という強く強いこだわりはとくになくて、じぶんと周りのひとが幸福であることが人生の最も重きを置いているぶぶんなら、それ以外は人生にすこし彩りを添えるオプションに過ぎない。

毎日が幸福であり、きちんとじぶんの人生を全うしたいと思う。
その点でいえば、きょうは大満足の1日だったのかもしれない。派手なイベントなんかはなくてでも悲劇なんてものもなくて。