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なまけのおつむ

きちんと暮らして死んでいく

ニートの歩き方

読書
phaさんの「ニートの歩き方」を読んだ。といっても、経済学とか難しかったり興味のもてないぶぶんはとばしよみしてしまったのだが…。

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phaさんは凄く頭のいい人なんだろうけど、難解な言葉を使わずにだれでもわかるような表現とかをつかって読みやすく書いてくれている。
あと、なんといったらいいのかわからないけど、器の大きさを感じる。phaさんはニートなんだけどべつに働いてる人を全否定するわけじゃなくて、かといってニートの素晴らしさを滔々と語っているわけでもなくて、ある意味客観的に、他人ごとのようにいろんなことを捉えていて、こんなことをいうのは妙だけど信頼できる人だと感じる。
この本はほかの著作よりもう少し「ニートとして生きていくマニュアル」感が強くて、生活保護職業訓練、住居選びやアフェリエイトなどについても実体験をもとにして紹介してくれている。ふつうに役立つし、あとここでもやっぱり傾いていない。客観的な事実を述べていて、たとえばアフェリエイトにも媚びたりせずメリットとデメリットをきちんと書いてくれているところが、やっぱり…信頼できる。
主張はあるんだけど、「〜っていう人がいるけど、ちょっと違うなーと思う」とか、文体がゆるいのだ。でもゆるさって大切だと思うし、日本なんかもうちょっとゆるくなってもいいんじゃないかな。
2年ニートして2年働くとか、なんかゆるーく行ったり来たりをできるような国になるのは遠いのかな〜なんて思う。
でもだいぶphaさんはそういう未来への貢献をされててありがたい。

phaさん、これをもし見ていたら、またたまーに本を書いてください。あんまり働くの嫌かもしれないけど。出たら買いますので。


読了2 pha ニートの歩き方

EXPO

家と職場のあいだにボルダリングジムがあることを知って、体重がへらないことに悩む母におしえてあげようと母のいる和室にいったら、母はわたしが来ると迷惑そうに聖書を読み始めた。
あきらめて、すこしの苛立ちとむしゃくしゃとひとしずくの殺意を胸に自室に戻って睡眠薬をのんだ。
もう眠るしたくは済んだので、ベッドでTOMOVSKYの「EXPO」を聴きながらこれを書いている。
このアルバムは踏切の音で始まる。幼いころによんだ「プラネタリウム」という小説に、追い詰められると踏切の音を発してしまうという女の子がでてきていて、それ以来踏切の音を好むようになった。ある種のスペックだ、と思う。
だからこのアルバムが大好きだ。
TOMOVSKYはカステラのボーカルのころからひたむきにくだらない歌ばかり歌っていた。彼の書く歌詞は誰よりも彼自身に向けたものなのだけど、それに自らを重ねあわせて救われる人たちはきっとたくさんいて、変わりつづけているけど変わらない彼はわたしにとっての宝石だとおもっている。ところどころ磨きがあまくて、すこし濁っていて、でも透きとおっているちいさな光る石。

彼は強い、と思う。正確には、彼は強くあろうとしている。弱りそうなじぶんを音楽によって肯定し、鼓舞し、奮いたたせている。そしてパブリックな場所やライブではヘラヘラと笑い、弱さをおくびにも出さない。好きだ、と思う。
彼はわたしには寄り添ってくれない。でも彼の音楽は寄り添ってくれる。「まあそういうことで、曲つくったんだよね。みんなにあげるよ。それぞれ勝手に聴いてネ」彼はへらへらしながらそう言うだろう。

彼のライブに最後に行ったのは3、4年前になる。「ほうき」という曲で、泣き出してしまったのを覚えている。水風船のなかに溜まりに溜まった鬱や希死念慮やストレスやどうしようもなさが、風船に穴が空いたようにいっきに溢れだしていった。泣くまいと思う間もなく視界がみるみるうちに滲んだのはあとにも先にもこれがはじめてだった。

幸福

今朝はなんだか侘しいきもちで恋人の家を出た。もう2度とくるもんかなどと思いながら、せいいっぱいのそっけなさを醸したLINEを一応送っておいた。静かに発奮していた勢いで帰りしなにレコードショップで人間椅子のアルバムを買い、バーガーキングでベーコンチーズバーガーを食べ、靴屋でadidasのショッキングピンクのスニーカー(おもいきりディスカウントされていた)を購入して、電車に揺られていたら、家族からメールが来て、ようやく起きた恋人からも返事が来た。back numberを聴いていて、膝にはさっき買ったスニーカーをのせ、車窓からは川がみえていた。
行きたいと思う場所、帰る場所、寄り添ってくれる音楽、欲しいものとそれを買える余裕があること、そして電車がなにごともなく走るような平和な世界にいることがとてつもなく幸福だと思った。贅沢すぎる幸福に泣き出したくなるのをこらえるために、唇を痛く噛みしめなければならなかった。

缶の紅茶

そこにいってやりたいことがあるのだが、まだ実現していない。
場所はそんなに遠くなくて、というかほぼ毎日歩くんだけど。

わたしのうちは公園や牧場のある丘の上にあって、丘を下るとそれ自体がひとつの町みたいになっている団地がある。
その団地の中庭に、ベンチがあって、まずそこにすわりたい。
そして、その通りにある自動販売機に売っている缶のミルク紅茶を買って、煙草を吸いながら音楽を聴いてそれを飲むこと。
出不精で遅起きで寒がりのわたしには、グアムよりも遠い場所かもしれない。
缶の紅茶が大好きだけど、意外とどこにでも売っているわけじゃなくて、その丘の下にあることがわたしには天からの最大の恵みに思えるときがある。
缶って持ち運びづらいし、コーヒーはともかく紅茶なんてみんないっきに飲まないから、どんどん缶の紅茶は姿を消していくのかもしれない。
丘の下の缶の紅茶を絶やさないために、わたしが率先して飲んでいこう。今週こそ行動に。

満腹

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手料理はにがてだし興味もなかったのだが、おもいたって昼食をつくった。
ほうれん草とスモークサーモンのクリームパスタ。
初めてにしてはまずまず。もっとクリーミーさが欲しい。パスタがこげつかないように注意すること。

ツツミシタさん

わたしの勤める職場には、ツツミシタさんという50代の女性がいる。
年齢のわりに若若しく、髪を金にちかく染めたり、指輪をいくつもはめたりしている。
彼女は、つねにうごいている。せかせかと、はたはたと。勤続年数はながいのに、おちつきがないのでへんなミスをしたりする。
(おちつきがない、という状態をわたしは憎しみにちかくきらっている。わたしはしばしばそれに陥り、そのたびにじぶんがじぶんでなくなる感覚を納豆のように噛みしめることになる)
つねになにかに追っかけられているので、いいかたがきつい。まわりがみえていない。じぶんはふつうの主婦とはちがうとおもっているけど、限りなくふつうの主婦だとわたしは思う。
でも笑顔がかわいい。
なにもまなぶひまがなかったのかと思うくらい人間くさい。人間くさすぎる。
単純なようでいてつかみどころがない。
そんなツツミシタさんが、わたしは好きだし嫌いだしどうでもいいと思っている。
そんなツツミシタさんの話。

たちきること

昨年末に、LINEのアカウントを消した。
簡潔にいってしまえば、ふたつのことに疲弊をしたからだ。
相手が求めているのがわたし自身ではなくて、話の聞き役だということ。
そしていままで友達としていた多くのひとたちが、それにあてはまるのだということに気づいたこと。
それにきづいて、むろんわたしははなすことよりきくことのほうが好きだけれど、それでも、一方的、という行為は耐えられるものではなかった。
バランス。
生きていくうえでとても大切なもののひとつだと思っている。バランス。

もちろんすべてのひとの連絡を断つわけにはいかないので、すぐにあたらしくアカウントをつくりなおし、ともだちの欄には恋人だけをのこした。

しかし、気がつくと、いやでいやでしかたがなくて切ったはずの友だちが増えてきていることに気づいた。

逃れられないのか、と思った。

そしてわたしはまたLINEを消した。
そしてまたつくりなおし、恋人だけをともだちに追加し、ほかの友人たちをすべてブロックした。

必要のないものをきりすてる勇気は、いつだって必要なのだ。
まいにちバスルームでからだのよごれを落とすように、部屋のごみだしをするように、よぶんな脂肪をへらすためにトレーニングをするように、必要のないひとをきりすててたちきっていくことは、わたしにとって気のとおくなるほど退屈で幸福な幾度もくりかえされる生活のなかのいちぶぶんに過ぎない。

さて、眠るまえの読書と称して、いまさっき江國香織の「泣く大人」を読んでいた。
男友達について書かれているエッセイが載っていた。
江國さんには、きっとともだちがたくさんいるのだろう。

ひとりでも生きていけると思っていた。
ひとりでも楽しくあそんで生きられると思っていた。

しかし、江國さんの文章に触れて、わたしはいま、限りなくひとりなのだと思った。まけおしみを考えるひますらもあたえず、綿菓子が口のなかで一瞬にして溶けるようにわたしの心にその感情がわたしの一部になった。

もちろんひとりでも生きていける。
もちろんひとりでも楽しく遊んでいられる。
でも、それはすこしだけ、さみしいことなのかもしれなかった。
わたしが完ぺきな孤独でなかったら(わたしは孤独ではないけれど、ゆっくりと着実にちかづいている)、そんなことは思わないだろう。

幼稚園からの男友達を思いだす。彼はいまでもつきあいのある、信頼しあい愛しあっている大切な友人だ。

わたしは、しずかに、音もたてずに、彼のアカウントをともだちに追加し、

そして、LINEをいつでも辞められるように無機質にしていたきせかえを、一種のおかしさでもって、水森亜土ちゃんのものにかえた。
そこはかとなくがさつで愉快なきもちになりながら、わたしは彼からの返信をまつことにしよう。